横山祖道 草笛と共に過ごした懐古園での22年
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高僧であったにもかかわらず、寺も檀家も持たず、小諸懐古園で22年間草笛を吹き続けた一人の僧侶、横山祖道。小諸での足跡を辿ります。
yoshi
2015-09-05T11:06:14+09:00
ja
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小諸で過ごした22年
https://sodou-yokoyama.blog.ss-blog.jp/2013-11-17
東屋にて座禅する祖道さん(この写真の顔はとても柔和です) 紅葉丘にある欅の下での座禅横山祖道さんの草笛を一度だけ聞いたことがある人間が、50有余年の時を経て、草笛を吹くようになりました。それも小諸懐古園で・・・思い返してみると、祖道さんと私との縁は無いようでいて、かなりあることに気付きました。(こじつけかもしれませんが)それは、私が生まれたときに祖道さんが佐久の貞祥寺にいたこと・一度だけですが懐古園で祖道さんの草笛を聞いたことがあること・私が草笛を吹くようになったこと・小諸草笛会の一員として懐古園の草笛教室で観光客に草笛を教えるようになったこと・祖道さんの唯一の弟子である、柴田誠光上座と知己を得たこと・祖道さんの肉筆の書をいただいたこと。横山祖道さんの情報が少ないこともあって、書くのが義務のような気がして、ブログを立ち上げました。ただ、草笛を一度だけ聞いただけであり、面識があった訳ではありませんので、祖道さんの人となりは参考文献から個人的に感じたものであることをお断りしておきます。このブログ作成にあたり参考にした資料草笛禅師 横山祖道人と作品(紀尾井書房)草笛禅師歌曲集(紀尾井書房)横山祖道歌曲集(紀尾井書房)普勧坐相みほとけ(大法輪閣)柴田誠光上座提供による写真・書・音源等小諸草笛会事務局 小林政利様から頂いた音源等画像上で左クリックすると設定したサイズでご覧いただけます。おことわり掲載している写真等は汚れやキズを修整するため加工してあります。また、手を加えているものもあります。祖道さんが小諸に来るきっかけについて語る音声があります。(昭和39年4月文化放送・民謡風物詩より抜粋)17-民謡風物詩.mp3この時の祖道さんは57歳で、草笛の音も若々しく、力強さがみなぎっています。そして、昭和23年に懐古園で草笛を吹いたことにも触れています。(すべてをお聞きになりたい方は、最下段のリンク先をクリックしてください。話の内容が文章化されて掲載されています)2015.4.22この中で、祖道さんが『草笛を歌う』ということばを使っているのがとても印象的です。今の私が草笛を吹くときに心掛けていることと相い通ずるものがある気がします。祖道さんが小諸で草笛を吹こうとしたきっかけは、昭和23年に懐古園で観光客に草笛を吹いてあげたところ、たいそう喜んでもらえたことが動機で、(当時、佐久の貞祥..
草笛
yoshi
2015-09-05T11:06:14+09:00
東屋にて座禅する祖道さん(この写真の顔はとても柔和です) 紅葉丘にある欅の下での座禅
横山祖道さんの草笛を一度だけ聞いたことがある人間が、50有余年の時を経て、草笛を吹くようになりました。
それも小諸懐古園で・・・
思い返してみると、祖道さんと私との縁は無いようでいて、かなりあることに気付きました。(こじつけかもしれませんが)
それは、私が生まれたときに祖道さんが佐久の貞祥寺にいたこと・一度だけですが懐古園で祖道さんの草笛を聞いたことがあること・私が草笛を吹くようになったこと・小諸草笛会の一員として懐古園の草笛教室で観光客に草笛を教えるようになったこと・祖道さんの唯一の弟子である、柴田誠光上座と知己を得たこと・祖道さんの肉筆の書をいただいたこと。
横山祖道さんの情報が少ないこともあって、書くのが義務のような気がして、ブログを立ち上げました。
ただ、草笛を一度だけ聞いただけであり、面識があった訳ではありませんので、祖道さんの人となりは参考文献から個人的に感じたものであることをお断りしておきます。
このブログ作成にあたり参考にした資料
草笛禅師 横山祖道人と作品(紀尾井書房)
草笛禅師歌曲集(紀尾井書房)
横山祖道歌曲集(紀尾井書房)
普勧坐相みほとけ(大法輪閣)
柴田誠光上座提供による写真・書・音源等
小諸草笛会事務局 小林政利様から頂いた音源等
画像上で左クリックすると設定したサイズでご覧いただけます。
おことわり
掲載している写真等は汚れやキズを修整するため加工してあります。また、手を加えているものもあります。
祖道さんが小諸に来るきっかけについて語る音声があります。(昭和39年4月文化放送・民謡風物詩より抜粋)
再生できない場合、ダウンロードは🎵
こちら
この時の祖道さんは57歳で、草笛の音も若々しく、力強さがみなぎっています。そして、昭和23年に懐古園で草笛を吹いたことにも触れています。(すべてをお聞きになりたい方は、最下段のリンク先をクリックしてください。話の内容が文章化されて掲載されています)
2015.4.22
この中で、祖道さんが『草笛を歌う』ということばを使っているのがとても印象的です。今の私が草笛を吹くときに心掛けていることと相い通ずるものがある気がします。
祖道さんが小諸で草笛を吹こうとしたきっかけは、昭和23年に懐古園で観光客に草笛を吹いてあげたところ、たいそう喜んでもらえたことが動機で、(当時、佐久の貞祥寺に逗留していました)それならば、晩年は懐古園で草笛を吹いて過ごそうと決めたそうです。そして、浅間山が祖道さんを呼んでいたからとも。
私が思うにはそれだけではなく、懐古園の傍らを千曲川が流れていたのが、祖道さんの故郷の北上川を偲ばせ、島崎藤村の千曲川旅情の歌にある、『暮れ行けば浅間も見えず歌哀し佐久の草笛』の一節にも草笛を吹く者として、心惹かれるものがあったのではないかと思います。
ただ、晩年を懐古園で過ごすには51歳という年齢は若すぎるような気がしますが、それを決心させたのが、
昭和31年に松島海岸の岩に咲く撫子を汽車の窓から見て、少欲知足を教わったことと関係があるのでは?と個人的に思います。
少欲知足を語る祖道さんの肉声です。(長いので冒頭の部分のみの紹介です)
再生できない場合、ダウンロードは🎵
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全てを捨て去り、草笛を吹くためだけに小諸の地に赴いたのは、昭和33年(1958年)4月9日のことでした。
以来、22年間にわたる小諸での生活が始まりました。
小諸に来る前の祖道さんの足跡を簡単に記しておきます
横山祖道(本名 横山運平)
明治40年(1907年)9月1日、父・横山栄、母・とも、の次男として生まれた。(4男5女の第6子)
家業は機織業(生家は、伊達家筆頭家老職の家柄であった)
大正3年(1914年)登米高等尋常小学校入学。
大正5年(1916年)3年生の時、草笛を覚える
尋常小学校を卒業後は家業を手伝いながら青年時代を過ごす。
昭和12年(1937)12月澤木興道師の許に出家し、尾張の雲居寺に預け入れられる。
昭和13年(1938)年1月 得度
昭和13年(1938).3~15年(1940) 伊豆最勝院
昭和15年(1940).5~17年(1942).5 総持寺
昭和17年(1942).5~21年(1946) 肥後の海蔵寺
昭和21年(1946).9~ 丹波の普応山十方寺
昭和21年(1946).10~ 羽後の東伝寺
昭和22年(1947).10~ 十方寺
昭和23年(1948)4.10~ 信濃の貞祥寺
昭和24年(1949).8~32年(1957)3.28 京都の安泰寺
昭和32年(1957)3.29~33年(1958)4.8 仙台にて静養
昭和33年(1958)4.9 小諸市に居を移す
全てを捨て去り、身一つで小諸に赴いた祖道さんの小諸での生活は、寺も檀家も持たないだけに、決して楽なものではなかったはずです。
懐古園では座禅を組み、草笛を吹いていただけならともかく、火を焚いて炊飯をしたり、草笛を聞いた人からの喜捨や、楽譜を求める観光客に譲って生活の糧を得ていたので、今風にいえばホームレスと思われていたかもしれません。
事実、私が家族で懐古園を訪れたとき、初めて聞く、もの哀しげな草笛の音に聞き入っていたら、(昭和34年ころ)父親に「そんなものを聞いているんじゃない」と言われ、その場を後にしました。
こども心に、なぜ聞いてはいけないのだろうと思いましたが、父は祖道さんを物乞いと思っていたようです。そのように思っていた人は少なからずいたのではないでしょうか。
地道な活動を続けた結果、次第にその名声は高まり、草笛禅師あるいは草笛老師と呼ばれ、昭和の良寛さんとも称されました。
昭和55年(1980)5月21日を最後に、懐古園で祖道さんの草笛を聞くことはできなくなりました。
翌日から床に伏し、6月16日午前零時四十分、73年の生涯を終えましたが、その日は、祖道さんの師である澤木興道さんの誕生日と同じ日でした。
祖道さんの師である澤木興道さん、あるいは弟弟子である内山興正さんが八十数歳の天寿を全うされたのに対し、七十三歳で亡くなっているのは、戸外で草笛を吹いていたことと無関係ではない気がします。
戸外での生活、特に小諸の厳しい冬の寒さが、次第に体力を奪っていったのは間違いないでしょう。
せめて、寒さだけでもしのげる庵のようなものがあったら、もう少し元気な姿を見ることが出来たであろうと思います。
物欲の塊のような人間である私にはまねのできない、『少欲知足』を実践して生涯を送った横山祖道さんに改めて敬意を表します。
そんな私にできることといえば、草笛を吹いて旅人(観光客)に思い出を持って帰ってもらうことでしょうか。
祖道さんが説教の代わりに草笛に込めた、正法眼蔵四摂法(布施・愛語・利行・同事)を自分なりに解釈して草笛を吹きたいと思います。
祖道さんが草笛を吹いていた”笹薮のもと”横(東屋の前)にある武器庫の2階で草笛禅師横山祖道資料展が開催されています。草笛教室開催中か、観光ガイドによる案内時に希望すれば見ることができます
横山祖道さんの資料を集めた素晴らしい資料館が開設されましたのでご覧ください
こちらからどうぞ http://kusabuezenji.jp
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草笛禅師 横山祖道が奏でる葉のしらべ(1)
https://sodou-yokoyama.blog.ss-blog.jp/2013-12-17
横山祖道さんが吹いた草笛の曲を、様々な音源から抜き出してみました。元の音源はカセットテープであることや、屋外で録音されたものもあるので雑音が入っています。専門家ではありませんので、無料の音楽ソフトでのノイズ処理しかできません。音源のテープが録音されたころ(昭和53年から54年)祖道さんが軽く咳き込む様子が録音されています。53年の暮れ、風邪をひいて寝込み、こじらせて喘息気味となり、体調不良が続くようになったと本に書かれています。体力が落ちてきたためか草笛の息が続かず、弱いこともあってか音程が不安定な曲もあります。曲の下にある楽譜は実際に懐古園で使われていたものです。(紐は木や柱に結わえるためのもの)下に見るようにかなりの数の楽譜が残されていますが、なかでも「千曲川旅情の歌」と「初恋」の枚数が多いのは、草笛を所望される頻度が高かったためと思われます。千曲川旅情の歌(横山祖道さんの絶録)07-(絶録)千曲川旅情の歌.mp3初恋(島崎藤村)昭和53年8月31日録音02-初恋.mp3祖道さんと観光客の会話(祖道さんは早口だった上、東北訛りが混じるので聞き取りにくいことがあったそうです)15-観光客との会話 S53.8.31収録.mp3千曲川旅情の歌:東屋近くにある『草笛演奏機』と同じ音源(録音日は昭和54年1月14日)懐古園で聞いたことがある方は大勢いらっしゃると思います。14-千曲川旅情の歌.mp3草笛哀し12-草笛かなし.mp3赤とんぼ10-赤とんぼ.mp3
草笛
yoshi
2015-09-01T22:57:56+09:00
元の音源はカセットテープであることや、屋外で録音されたものもあるので雑音が入っています。
専門家ではありませんので、無料の音楽ソフトでのノイズ処理しかできません。
音源のテープが録音されたころ(昭和53年から54年)祖道さんが軽く咳き込む様子が録音されています。
53年の暮れ、風邪をひいて寝込み、こじらせて喘息気味となり、体調不良が続くようになったと本に書かれています。
体力が落ちてきたためか草笛の息が続かず、弱いこともあってか音程が不安定な曲もあります。
曲の下にある楽譜は実際に懐古園で使われていたものです。(紐は木や柱に結わえるためのもの)
下に見るようにかなりの数の楽譜が残されていますが、なかでも「千曲川旅情の歌」と「初恋」の枚数が多いのは、草笛を所望される頻度が高かったためと思われます。
千曲川旅情の歌(横山祖道さんの絶録)
再生できない場合、ダウンロードは🎵
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初恋(島崎藤村)昭和53年8月31日録音
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祖道さんと観光客の会話(祖道さんは早口だった上、東北訛りが混じるので聞き取りにくいことがあったそうです)
再生できない場合、ダウンロードは🎵
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千曲川旅情の歌:東屋近くにある『草笛演奏機』と同じ音源(録音日は昭和54年1月14日)
懐古園で聞いたことがある方は大勢いらっしゃると思います。
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草笛哀し
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赤とんぼ
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草笛禅師 横山祖道が奏でる葉のしらべ(2)
https://sodou-yokoyama.blog.ss-blog.jp/2014-05-10
05-チューリップ.mp3チューリップどんぐりころころ08-どんぐりころころ.mp3故郷01-故郷.mp3荒城の月04-荒城の月.mp3惜別の歌09-惜別の歌.mp3椰子の実11-椰子の実.mp3横山祖道伊豆を語る(一部)横山祖道伊豆を語る.mp3座禅を組みながら、乞われれば草笛を吹いていました。希望者に譲っていた手書きの楽譜の一部。
草笛
yoshi
2015-08-31T23:04:59+09:00
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちらチューリップ
どんぐりころころ
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故郷
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荒城の月
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惜別の歌
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椰子の実
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横山祖道伊豆を語る(一部)
再生できない場合、ダウンロードは🎵
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座禅を組みながら、乞われれば草笛を吹いていました。
希望者に譲っていた手書きの楽譜の一部。
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写真で偲ぶ 草笛禅師『横山祖道』その1
https://sodou-yokoyama.blog.ss-blog.jp/2013-12-17-1
ここでは、横山祖道さんの写真を紹介します。京都・安泰寺釈迦谷口バス停前にて安泰寺釈迦谷口バス停前で墨染めの衣を風にたなびかせて・・・第19回参禅会・佐久の貞祥寺にて。何年か不明(8月2日から4日まで開催)第25回参禅会・佐久の貞祥寺にて。年不明(8月2日から4日まで開催)参禅会で草笛を吹く祖道さん。外国人が多数写っています。(佐久の貞祥寺)祖道さんが両手で草笛を吹いている珍しい写真(柴田上座談:草笛を教えてる時のものではないかとのこと)千曲川旅情の歌の歌碑の前で草笛を吹く、若き日の祖道さん寒さで指がかじかんでしまうので、手袋の先が切ってあります。(草笛教室で寒い時、同じことをしています)これらの写真は、昭和44年2月25日に奥村幸代さんとおっしゃる女性が懐古園で撮影したものです。(アルバムの表紙にカメラ店の名前が読み取れます。(使っているカメラから判断してかなりの写真好きだったと思われます)上の写真の右下に写っているものは、テープレコーダーです。祖道さんとテープレコーダーの組み合わせは意外な感じがしましたが、柴田上座から伺ったエピソードをひとつ・・・祖道さんが京都の安泰寺を訪れ、乞われて草笛を吹いたときのこと。弟弟子の内山興正さんから、音がおかしい(はずれている)と指摘されたことがあり、このことを気にしていたらしく、帰ってからテープレコーダーに録音して聞いていたことがあったそうです。草笛に限らず、自分の演奏は録音して聞いてみるのが、客観的に判断できる一番いい方法であることは、私にも経験があります。撮影者: 奥村幸代 撮影日: 昭和44年2月25日懐古園のささやぶのもとで座禅を組み、乞われれば草笛を吹いていた、祖道さんの様子が偲ばれる写真です。この写真は小諸での下宿先の前で撮影されたものです。懐古園に出かける前でしょうか?なぜか裏焼きになっていましたので(着物が右前になっていました)修正しました。小諸時代の祖道さんの写真は懐古園でとられたものがほとんどで、それ以外のものは稀だそうです。先日、祖道さんの下宿先があった場所を訪ねてみましたが、すでに家は無く、畑になっており、ビニールハウスが1棟あるだけでした。右隅に枝垂れ桜と思われる木が植えられています。祖道さんを偲んで植えたのでしょうか?折をみて、近燐の家を訪ねていろいろ聞いてみたいと思い、道路を隔てたお宅を訪ねてお聞きしましたが、詳しく知っている方が不在で詳しいこと..
草笛
yoshi
2014-04-16T23:07:08+09:00
京都・安泰寺釈迦谷口バス停前にて
安泰寺釈迦谷口バス停前で墨染めの衣を風にたなびかせて・・・
第19回参禅会・佐久の貞祥寺にて。何年か不明(8月2日から4日まで開催)
第25回参禅会・佐久の貞祥寺にて。年不明(8月2日から4日まで開催)
参禅会で草笛を吹く祖道さん。外国人が多数写っています。(佐久の貞祥寺)
祖道さんが両手で草笛を吹いている珍しい写真(柴田上座談:草笛を教えてる時のものではないかとのこと)
千曲川旅情の歌の歌碑の前で草笛を吹く、若き日の祖道さん
寒さで指がかじかんでしまうので、手袋の先が切ってあります。(草笛教室で寒い時、同じことをしています)
これらの写真は、昭和44年2月25日に奥村幸代さんとおっしゃる女性が懐古園で撮影したものです。(アルバムの表紙にカメラ店の名前が読み取れます。(使っているカメラから判断してかなりの写真好きだったと思われます)
上の写真の右下に写っているものは、テープレコーダーです。
祖道さんとテープレコーダーの組み合わせは意外な感じがしましたが、柴田上座から伺ったエピソードをひとつ・・・
祖道さんが京都の安泰寺を訪れ、乞われて草笛を吹いたときのこと。
弟弟子の内山興正さんから、音がおかしい(はずれている)と指摘されたことがあり、このことを気にしていたらしく、帰ってからテープレコーダーに録音して聞いていたことがあったそうです。
草笛に限らず、自分の演奏は録音して聞いてみるのが、客観的に判断できる一番いい方法であることは、私にも経験があります。
撮影者: 奥村幸代 撮影日: 昭和44年2月25日
懐古園のささやぶのもとで座禅を組み、乞われれば草笛を吹いていた、祖道さんの様子が偲ばれる写真です。
この写真は小諸での下宿先の前で撮影されたものです。
懐古園に出かける前でしょうか?
なぜか裏焼きになっていましたので(着物が右前になっていました)修正しました。
小諸時代の祖道さんの写真は懐古園でとられたものがほとんどで、それ以外のものは稀だそうです。
先日、祖道さんの下宿先があった場所を訪ねてみましたが、すでに家は無く、畑になっており、ビニールハウスが1棟あるだけでした。
右隅に枝垂れ桜と思われる木が植えられています。祖道さんを偲んで植えたのでしょうか?
折をみて、近燐の家を訪ねていろいろ聞いてみたいと思い、道路を隔てたお宅を訪ねてお聞きしましたが、詳しく知っている方が不在で詳しいことはわからずじまいでした。
時間があればいろいろ調べることが出来るのですが、あいにく時間的な余裕がほとんどありませんので、時の流れに埋もれてしまうことが残念です。
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写真で偲ぶ 草笛禅師『横山祖道』 その2
https://sodou-yokoyama.blog.ss-blog.jp/2014-01-19
かつて、草笛演奏機の説明板に使われていた老師の写真リニューアルされた草笛演奏機の説明板及びCDのジャケットに使われた写真柔和な笑みをたたえる祖道老師下宿の階下8畳間で座禅を組む上り坂なので懐古園からの帰りでしょうか?(年代、場所不明)(懐古園にて・・・昭和23年と思われる)まっすぐに伸びた背筋を見ると、その姿に美しささえ感じられます。(原版は祖道さんの頭部に人の足が重なっていたので消去してあります)おそらく晩年の写真と思われますが、弱々しい姿を見ていると胸が痛みます。
草笛
yoshi
2014-03-16T22:53:27+09:00
かつて、草笛演奏機の説明板に使われていた老師の写真
リニューアルされた草笛演奏機の説明板及びCDのジャケットに使われた写真
柔和な笑みをたたえる祖道老師
下宿の階下8畳間で座禅を組む
上り坂なので懐古園からの帰りでしょうか?
(年代、場所不明)
(懐古園にて・・・昭和23年と思われる)
まっすぐに伸びた背筋を見ると、その姿に美しささえ感じられます。(原版は祖道さんの頭部に人の足が重なっていたので消去してあります)
おそらく晩年の写真と思われますが、弱々しい姿を見ていると胸が痛みます。
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草笛禅師 横山祖道の出版物及び書
https://sodou-yokoyama.blog.ss-blog.jp/2013-12-18-2
祖道さんは生前に出版物を出すことはありませんでした。以下の書物/CDは没後に出版されたものです。 祖道さんが懐古園時代に制作した歌集が出版されるようです。(『碑のほとり乃歌』上・中・下の3巻)懐古園で草笛を吹いて喜捨を受けた際に渡していた書の一部。 この書が一番多く渡されたそうです(香霞千里)(雲水の草笛哀しちくまがわ)山里は松の聲のみききなれて 風ふかぬ日はさびしかりけり(行雲流水)(香霞千里)
草笛
yoshi
2014-02-17T22:18:44+09:00
以下の書物/CDは没後に出版されたものです。
祖道さんが懐古園時代に制作した歌集が出版されるようです。(『碑のほとり乃歌』上・中・下の3巻)
懐古園で草笛を吹いて喜捨を受けた際に渡していた書の一部。
この書が一番多く渡されたそうです(香霞千里)
(雲水の草笛哀しちくまがわ)
山里は松の聲のみききなれて 風ふかぬ日はさびしかりけり
(行雲流水)
(香霞千里)
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草笛禅師 横山祖道の暮らし
https://sodou-yokoyama.blog.ss-blog.jp/2013-12-18
昭和33年4月9日小諸に着いた祖道さんは、小諸市諸276の小林丑雄方の2階の一部屋、6畳一間を借り新しい生活をはじめたのでした。ここでの生活は、亡くなるまでの22年続くことになります。この部屋には押入れは無く、身の回りの物やコタツ、それにオルガンまで置いてあったとのことなので、その広さ(狭さというべきか)は想像がつきます。この下宿は小諸商業高校に通う学生さん達も下宿をしていたので賄い付きでした。祖道さんは大家さんに対し、食事は皆と同じものを食べるので僧侶だからと言って区別をしないでほしいとお願いしていたそうです。(実際には同じではなく、一部違う献立ではなかったかと思います)現在、この家は残されていないので当時の面影を偲ぶことはかなわぬものの、柴田上座から伺った部分的な間取り図から再現してみようと考えていますがかなりの困難が伴う作業となりそうです。(資料がありません)2014.7.21柴田上座にお願いして当時の間取りを書いていただき、清書してみました。(1階部分)ただ、部屋の押し入れや床の間の位置関係が不明なため、正確ではありません。左側の8畳と6畳の部屋が日常の住居スペースで、祖道さんの部屋は2階の6畳間(昭和33年以来)でありました。この下宿から懐古園まで徒歩で通っていました。距離、およそ1.6Km、所要時間20分だったそうですが帰りのほうが少し、時間がかかったかもしれません。というのは、小諸は坂の街で、しかもかなりの急坂が続くからです。私が、懐古園の草笛教室に通うようになって、小諸では自転車に乗っている人を見かけないと気付きました。坂が急すぎて、乗らないのではなく、乗れないのです。かつて祖道さんが通ったと思われるルートを載せました。(柴田上座に確認したところ、ほぼ間違いないそうです)また、祖道さんの日課も大体、次のように決まっていました。柴田上座が弟子入りする前のことは不明とのことですが、食事の時刻を除けばおそらく同じであったと思われます。(後述しますが、柴田上座は会社勤めのサラリーマン僧侶でした)起床:不明座禅:5:00朝食:7:00(柴田上座が弟子入りしてからの時刻)懐古園へ向かう:夏は9:30頃 冬は10:00頃帰宅:夏は17:00頃 冬は16:00頃夕食:19:00(柴田上座が弟子入りしてからの時刻)法話(仏教の話)20:00自室に戻る:21:00就寝:不明冒頭にも書きましたが、小諸での生活は寺も..
草笛
yoshi
2014-01-15T22:14:15+09:00
ここでの生活は、亡くなるまでの22年続くことになります。
この部屋には押入れは無く、身の回りの物やコタツ、それにオルガンまで置いてあったとのことなので、その広さ(狭さというべきか)は想像がつきます。
この下宿は小諸商業高校に通う学生さん達も下宿をしていたので賄い付きでした。
祖道さんは大家さんに対し、食事は皆と同じものを食べるので僧侶だからと言って区別をしないでほしいとお願いしていたそうです。(実際には同じではなく、一部違う献立ではなかったかと思います)
現在、この家は残されていないので当時の面影を偲ぶことはかなわぬものの、柴田上座から伺った部分的な間取り図から再現してみようと考えていますがかなりの困難が伴う作業となりそうです。(資料がありません)
2014.7.21
柴田上座にお願いして当時の間取りを書いていただき、清書してみました。(1階部分)
ただ、部屋の押し入れや床の間の位置関係が不明なため、正確ではありません。
左側の8畳と6畳の部屋が日常の住居スペースで、祖道さんの部屋は2階の6畳間(昭和33年以来)でありました。
この下宿から懐古園まで徒歩で通っていました。
距離、およそ1.6Km、所要時間20分だったそうですが帰りのほうが少し、時間がかかったかもしれません。
というのは、小諸は坂の街で、しかもかなりの急坂が続くからです。
私が、懐古園の草笛教室に通うようになって、小諸では自転車に乗っている人を見かけないと気付きました。
坂が急すぎて、乗らないのではなく、乗れないのです。
かつて祖道さんが通ったと思われるルートを載せました。(柴田上座に確認したところ、ほぼ間違いないそうです)
また、祖道さんの日課も大体、次のように決まっていました。
柴田上座が弟子入りする前のことは不明とのことですが、食事の時刻を除けばおそらく同じであったと思われます。(後述しますが、柴田上座は会社勤めのサラリーマン僧侶でした)
起床:不明
座禅:5:00
朝食:7:00(柴田上座が弟子入りしてからの時刻)
懐古園へ向かう:夏は9:30頃 冬は10:00頃
帰宅:夏は17:00頃 冬は16:00頃
夕食:19:00(柴田上座が弟子入りしてからの時刻)
法話(仏教の話)20:00
自室に戻る:21:00
就寝:不明
冒頭にも書きましたが、小諸での生活は寺も檀家も持たない祖道さんにとっては厳しく、弟子を養うことはできませんでした。
京都の安泰寺では、1回の托鉢で一月生活できるほどの喜捨を受けることができたそうですが、ここ小諸は城下町です。
托鉢をしても喜捨を受けることはできなかったことでしょう。
門前町である長野市は善光寺があるので、托鉢に対して喜捨をする習慣が現在でも残っています。
このため、柴田上座は会社に勤めながらサラリーマンとして、祖道さんの元で修業を続けることになります。
師である祖道さんと接する機会の多くは帰宅後にあった事は明らかです。
従って、懐古園での祖道さんの様子を詳細に知ることはなかったとのことです。(懐古園に来客がある時など用事がない時は行くことがなかったとのこと)
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