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草笛禅師 横山祖道の暮らし [草笛]

昭和33年4月9日小諸に着いた祖道さんは、小諸市諸276の小林丑雄方の2階の一部屋、6畳一間を借り新しい生活をはじめたのでした。
ここでの生活は、亡くなるまでの22年続くことになります。
この部屋には押入れは無く、身の回りの物やコタツ、それにオルガンまで置いてあったとのことなので、その広さ(狭さというべきか)は想像がつきます。
この下宿は小諸商業高校に通う学生さん達も下宿をしていたので賄い付きでした。
祖道さんは大家さんに対し、食事は皆と同じものを食べるので僧侶だからと言って区別をしないでほしいとお願いしていたそうです。(実際には同じではなく、一部違う献立ではなかったかと思います)
現在、この家は残されていないので当時の面影を偲ぶことはかなわぬものの、柴田上座から伺った部分的な間取り図から再現してみようと考えていますがかなりの困難が伴う作業となりそうです。(資料がありません)

2014.7.21
柴田上座にお願いして当時の間取りを書いていただき、清書してみました。(1階部分)
ただ、部屋の押し入れや床の間の位置関係が不明なため、正確ではありません。
祖道さん下宿間取り図(参考).jpg
左側の8畳と6畳の部屋が日常の住居スペースで、祖道さんの部屋は2階の6畳間(昭和33年以来)でありました。
この下宿から懐古園まで徒歩で通っていました。
距離、およそ1.6Km、所要時間20分だったそうですが帰りのほうが少し、時間がかかったかもしれません。
というのは、小諸は坂の街で、しかもかなりの急坂が続くからです。
私が、懐古園の草笛教室に通うようになって、小諸では自転車に乗っている人を見かけないと気付きました。
坂が急すぎて、乗らないのではなく、乗れないのです。

かつて祖道さんが通ったと思われるルートを載せました。(柴田上座に確認したところ、ほぼ間違いないそうです)
祖道老師懐古園への通路.jpg

また、祖道さんの日課も大体、次のように決まっていました。
柴田上座が弟子入りする前のことは不明とのことですが、食事の時刻を除けばおそらく同じであったと思われます。(後述しますが、柴田上座は会社勤めのサラリーマン僧侶でした)

起床:不明
座禅:5:00
朝食:7:00(柴田上座が弟子入りしてからの時刻)
懐古園へ向かう:夏は9:30頃  冬は10:00頃
帰宅:夏は17:00頃  冬は16:00頃
夕食:19:00(柴田上座が弟子入りしてからの時刻)
法話(仏教の話)20:00
自室に戻る:21:00
就寝:不明

冒頭にも書きましたが、小諸での生活は寺も檀家も持たない祖道さんにとっては厳しく、弟子を養うことはできませんでした。
京都の安泰寺では、1回の托鉢で一月生活できるほどの喜捨を受けることができたそうですが、ここ小諸は城下町です。
托鉢をしても喜捨を受けることはできなかったことでしょう。
門前町である長野市は善光寺があるので、托鉢に対して喜捨をする習慣が現在でも残っています。
このため、柴田上座は会社に勤めながらサラリーマンとして、祖道さんの元で修業を続けることになります。
師である祖道さんと接する機会の多くは帰宅後にあった事は明らかです。
従って、懐古園での祖道さんの様子を詳細に知ることはなかったとのことです。(懐古園に来客がある時など用事がない時は行くことがなかったとのこと)

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コメント 2

堺 恭子

私が大学生の頃(45年位前)に、小諸市の懐古園を訪れました。その時初めて、祖道さんに出会い、色んなお話を聞かせて頂きました。草笛を一緒に作って吹いてみました。同じ時間を過ごす事が心地よくそれから何度も東京から通いました。色紙もたくさん書いて下さいました。楽しかった日を思い出しました。
by 堺 恭子 (2019-01-22 20:57) 

yoshi

堺 恭子様

コメントいただいておりましたのに気が付かず申し訳ありませんでした。
祖道さんの志は現在でも引き継がれていて、4月~11月までの土日の13時から15時まで東屋において草笛教室が開かれています。
桜と紅葉の時期は特にお勧めです。
おいでをお待ちしております。
by yoshi (2019-05-26 22:48) 

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